無謬性(むびゅうせい)の否定

元のタイトルは「民の過ちは主の過ち」。以下引用。

「民主主義が他と決定的に違うのは、為政者の無謬性を否定していることだ。もっと平たく言うと、「偉い人が過ちをおかすことを想定している」ということだ。民以外の為政者が「主」であれば、「主」がまずければ「主」を捨ててしまえばいい。しかし「民」が「主」の場合、「民」そのものを捨ててしまうわけには行かない。だから、民主主義にとって一番大事なのは、言論の自由ではなく、無謬性の否定なのだ。言論の自由はそのためにあると言ってもいいぐらいだ」

以下結城が思ったこと。「無謬性の否定」というのは覚えていて損のないフレーズ。複雑なシステムを組み上げるとき、特にセキュリティに関わるシステムを組み上げるときに思い出そう。「このシステムは何かが無謬であることを仮定していないだろうか」と。